拝殿
御配神 菅原道真
稲荷神社
知恵の神
市杵島姫神社
牛神神社
忠魂碑
由緒沿革

 【由緒】
 信達大苗代村の東にあり、海営宮、祇園と称す。
 四ヶ村の生土神也。(和泉名所図会巻之四、第三三三頁)
 一岡神社は海営宮、祇園さんとして古くから世人に親しまれ、字一丘にあり、建速須佐之男尊、稲田姫尊、八王子命を主祭神に奉祀し、昔正一位の神階を賜り、神領実に八十町歩の御寄進を受けており、日根郡内唯一の大社であった事は諸種の文献に見られ明らかであります。
 その社伝によれば29代欽明天皇の御代(西暦 539年)悪疫流行し、勢日に増し激しく止まる事を知らざるに及び、時の長人一丘神社に平癒祈願させた処、神徳現証顕著でありましたので、その寄徳を仰ぎ山城国に御分霊を齊して帝都の疫病除け祈願の神と定められ、毎年大祭には御神輿を迎えて祭典を執行する事となりました。即ち毎年6月7日当社を御発輦し13日御着輦14日大祭を行い、3日間滞在され、その間帝都の氏子達は御神輿を奉じて各地の御巡行をされ、一丘神社御供人等はその間、山海の珍味を以て接待を受け18日に御発輦還行の途につき、24日当社に還御し、25日は御供人等洗川に身を浄め、28日還行祭を執行して居りました。
 33代推古天皇の御代(西暦 592年)に聖徳太子はこの地に七堂伽藍を建立し海会寺と称して、当社も海営宮と改め鎮守神として御供田三反歩を供して崇敬され45代聖武天皇の御代(西暦 724年)高僧行基は当社の南の方に一大溜池を築造し海営宮池と名付けてこの地の感慨用に供し、同時に神社と寺の修繕を行っていました。その壮大華麗であった七堂伽藍も106代正親町所天皇の御代(西暦 1577年)に織田信長の根来寺焼打ちの途次海営宮ともども兵火にかかり焼失し今も尚、方六尺の大礎石、経2尺5寸に及ぶ円柱の柱石等が残され、現在使われている手洗鉢はその一つです。
 都が京都に遷った後も続いていた御神輿の渡御の御供人は同寺の僧徒が変わってなされ京都に奉輦し、或時は御所に強訴する等の変遷があった事でもあります。其の後 107代後陽成天皇の御代(西暦 1596年)文禄年間に氏子地を大苗代村、中小路村、北野村、御所村と定め、社殿を新築再建し、神輿も新しく造られ、神威益々光輝を放ち近郷はもとより遠くの人等も厄除疫病平癒、産業隆昌の神と崇敬され益々隆盛を極めました。そして御神輿を奉じて京都への渡御を続けておりましたが、或年難波の津に着かれた時、余りの暑さに御供人等は病に倒れ、人足を雇い京都に留め帰りましたが、その後中止の止むなきに到り、その道中の御旅所は祇園社となり、八坂神社となって祀られ現存する所です。

【本殿主祭神】
 建速須佐之男尊(たけはやすさのおのみこと)
【相殿神】
 稲田姫尊(いなだひめのみこと)
 八王子命(はちおうじのみこと)
【御配神】
 菅原道真(すがわらのみちざね)
 誉田別命(ほんだわけのみこと)

【合祀されている境内神社】
白山神社        御祭神:伊邪那岐尊(いざなぎのみこと)
日吉神社        御祭神:大国主命(おおくにぬしのみこと)
稲荷神社        御祭神:宇迦之御魂命(うがのみたまのみこと)
              御祭神:猿田彦命(さるたひこのみこと)
厩戸王子神社     御祭神:厩戸王子命(うまやどおうじのみこと)
市杵島姫神社     御祭神:市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
牛神神社        御祭神:大己貴命(おおなむちのみこと)

◎所 在 地  泉南市信達大苗代373  
◎例    祭  10月第二土・日
◎宮入やぐら  大苗代北野

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