本殿
神池
由緒・沿革

 【由緒】
 所傳によれば昔泉南樽井の海岸に神武天皇(神倭磐毘古命)の尊像があり里人等が神意と思い引上げ奉り、一度は樽井の地に祀ったが更に神意を得て現在の地に社殿を建て遷し奉った。現在の鎮座地即ち此の地は神武天皇御東征に際して茅渟海岸男之水門より紀伊国釜山に至らせ給う途中しばし休息給いたる尊き高地である当神社にある神池は兄五瀬命の矢傷を洗ったとされている後、天武天皇白鳳十年(西暦 670年)役小角が金峯熊野の雨神を観請し本殿に合祀したもので金熊大権現と呼ばれ、当時の信達荘十三ヶ村の産土神である故に御祭神の金と熊をとり此の里を金熊寺と称す。天正年間(西暦 1577年)織田信長根来征伐の兵火に炎上し社殿が焼失したが御神体は幸にして無事であった。江戸初期正保四年(西暦 1648年)此地の豪族神主矢野和泉守家次が東西に奔走し桁行五間梁行二間の社殿(五間社流れ造り)矢野神主に神教あり「此の地に梅の木を植えなば神領益々隆昌ならん」と矢野氏一族相議して梅を植林す現在の金熊寺梅林である。

【御祭神】
 神倭磐毘古命(かみやまといわれひこのみこと)[神武天皇]
 金山彦命(かなやまひこのみこと)
 伊邪那美命(いざなみのみこと)

【末社】
 疫神社        御祭神:久那戸之大神(くなどのおおかみ)
【合祀されている境内神社】
金比羅神社      御祭神:大国主命(おおくにぬしのみこと)
市杵嶋神社      御祭神:市杵嶋姫之命(いちぎしまひめのみこと)

◎所 在 地  泉南市信達金熊寺7951  
◎例    祭  10月第二土・日
◎宮入やぐら  金熊寺(宮本)、牧野、馬場

inserted by FC2 system