拝殿
本殿
應社免大明神
牛神
手洗鉢
指出森神社基本財産寄附表
本殿改修祈念碑

 【由緒】
 指出森神社は字西出の指出森にあり、其の地は東鳥取村大字石田の郷社波太神社に祀れる八幡社の旧地なり。神功皇后の新羅を征して凱旋し給いしとき、務古の水門より紀國に至らんとして御船を鳥取の玉津浦に繋ぎ、武内宿禰は皇子を懐にして海邊を逍遙し奉りし縁に依り、應神天皇を祀りて八幡宮と称せしも、南北朝のとき鳥取氏の南朝に與せし為、と共に天授年中劫火の焼く所となり、郷の耆宿三十六人私財を抛ちて南山の下に波太神社の社殿を造営し、八幡宮の祭神をその相殿に祀りければ、その旧址に小祠を建てて應神天皇を祀りしもの即ち当社なり。もと貝掛神社と称し、明治五年村社に列し、同四十年十一月十一日今の社名に改め、同四十三年八月二十五日大字舞字湯の谷の村社谷神社(國常立命)を合祀せり。境内は四百七拾貮坪を有し、本殿及び社務所を存す、末社に厳島神社あり。氏地は本地一圓にして、祭日は十月十一日なり。

【御祭神】
 応神天皇[品陀別命](ほんだわけのみこと)
【合祀されている境内神社】
 谷神社          御祭神:国常立命(くにのとこたちのみこと)
【末社】
 厳島神社        御祭神:市杵嶋比売命(いちきしまひめのみこと)

◎所 在 地  阪南市貝掛1462  
◎例    祭  10月第二日、第三月
◎宮入やぐら  貝掛、箱作東、箱作西

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