【由緒】
 神武天皇御東征の砌、孔舎衛の坂で長髄彦と激しい戦いになった時に、皇兄五瀬命が賊の流矢で御肱脛に瘡を負われ、「吾は日神の御子として、日に向いて戦うこと良からず。故れ賊奴が痛手をなも負いつる。今より行き廻りて日を背負いてこそ撃ちてめ。」と仰せられた。よって皇軍は、大阪湾を南進し、紀伊に向かわれようとして紀元前3年5月8日この浜宮の地にお着きになり、山の井の水門で御手の血を洗われた。その血の流れが海に注いだ色を称して、血沼の海という。かくて、五瀬命の御瘡は大変重くなられ、命は御悩みの中で剣の柄を堅く握られ、「慨哉、大丈夫にして賊しき奴の手を負いて、報いずして死なんや。」と雄詰びされた。よって、この地を、おたけびの宮、雄水門(おのみなと)という。命はやがて竈山で亡くなられたが、その「日を背負いてこそ」と仰せられたことは、皇軍の作戦上重大な意義を持ち、また、「慨哉」と雄詰びされたことは、皇軍の士気を鼓舞せられ神武天皇の天業恢弘に大きく役立ったことである。
 即ち、彦五瀬命雄詰びの御遺跡、雄水門、今の浜宮の地に命の御神霊を祀奉り、貞観元年(西暦 858年)今の地に御遷座し奉ったという。毎年10月の例祭には、本社より聖蹟雄水門の地に御神輿渡御の儀が行われる。

【御祭神】
 彦五瀬命(ひこいつせのみこと)[皇兄]
 神日本磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと)[神武天皇]
【相殿神】
 天児屋根命(あまのこやねのみこと)
 熊野速玉神(くまのはやたまのかみ)
【末社】
 若宮事代主神(わかみやことしろぬしのかみ)
【摂社】
 浜宮彦五瀬命(はまみやひこいつせのみこと)

◎所 在 地  泉南市男里3丁目16番1号  
◎例    祭  10月第二土・日
◎宮入やぐら  男里北組男里南組

拝殿
末社 若宮神社
寶庫
神馬
手洗鉢
由緒・沿革
摂社 浜宮
「雄水門」の由緒
神武天皇聖蹟雄水門顕彰碑

(おたけびの宮)

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