由緒

 【由緒】
 久保神社は、雄信達村大字幡代字宮之久保にあり、明治四十三年九月十二日、信達神社が神饌幣帛供進社に指定されて合祀され、その後分祀されて現在に至る。 
−吉備真備公−
六九三年−七七五年 幼名下道真古備。吉備地方の豪族の出身で奈良時代の政治家・学者であった。七一六年 唐に留学し七三五年僧玄ムらと帰朝、有力者の相次ぐ死にみまわれた藤原氏に代わって橘諸兄・玄ムらと共に中央政界に重きをなした。七五三年−七五五年 第十回の遣唐使が派遣されその副使としてリーダーシップを発揮した。一時は孝謙天皇の愛臣藤原仲麻呂のため左遷されたが七六四年中央にかえり同年の仲麻呂の乱を鎮圧して政界に返り咲き従二位右大臣となる。唐の新知識の伝達者として学問・法制など奈良時代の文化の発達に大きく貢献した。

【御祭神】
 吉備真備公(きびのまきびこう)      

◎所 在 地  泉南市幡代684  
◎例    祭  10月第二土・日
◎宮入やぐら  幡代

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