拝殿
境内神社 恵比須神社
境内神社 大国神社
末社 神明神社
末社 厳島神社、稲荷神社
参詣所
手洗鉢
由緒・沿革

 【由緒】
 加茂神社は字下松にあり、玉依比賣命及び高寵神を祀れり。社記に依れば、玉依比賣命を勧請したは弘仁四年なり、高寵神勧請の年月は詳ならざれども、或は玉依比賣命勧請以前に於ける主たる祭神にして、同神の社に玉依比賣命を合祀したるものならんかとも云う。当社の南貳町許に赤掛山あり、俗に宮山と呼ばれ、其の麓なる字鳥居本に鳥居の沓石ありて、里人は高寵神の旧地なりと称して尊重し、今も当社の所領なり。北面に海を控え眺望佳絶の境なれども、其の前面海上を通行する船舶は、往々風波に進航を妨げられければ、社地の神慮に叶わざるものならんとて、宮居を今の所に移しまいらせしと傳う。又玉依比賣命は、山城國加茂神社の社殿造営に際し、御神體を奉安せる御靈箱を新に作替えたるを以て、その旧箱を加茂川に流したるに、淀川を経て難波浦に出で、海に浮び波に揺られて本地の海岸なる岸上に漂着せしを以て、里人開き見たるに、中に加茂神社の神體たる金幣を存しければ、これを奉じて加茂神社と崇敬し、此の時より本地を箱着里と云う。社殿は嵯峨天皇の弘仁四年村民協力し、附近の平地を繕い、良材を蒐めて建営し、拝殿・廊下・回廊・籠所・摂社・末社・神門等の普請成就せりと。以後の沿革は詳ならざれども、郷黨中最も旧家に生長したる年長實直者を選みて禰宜となし、禰宜となりたる者は在任中は殊更不浄に接せず、祭典には素袍・烏帽子を着用して神事を勤めて、明治の後神職の設置あるに至るまで継続せり。春秋の大祭には往時より宮座と称へ、産子より毎戸一人ずつ参詣し、境内の庁舎に於て直會の式を行い、産子の者は汚穢を避けて清浄を旨とし、社参用の履物は内草履と称して必ず自家に於て造り、各自炊を以て切火を為したる上にあらざれば之を用いざるの慣習を為して今に至る。明治五年村社に列し、同四十年一月神饌幣帛供進社に指定せられ、同年十二月二十三日字濱田の無格社戎神社(蛭子命)を合祀し、大正五年五月三十日字宮池の無格社池島神社を境内末社池島神社に合祀せり。境内は壹千壹百八坪を有し、本殿・幣殿・拝殿・庁舎・神饌所・社務所を存す。末社に川合神社・神明神社・池島神社・若宮神社あり。若宮神社は当所より約貳町を隔てたる字亀井にありしを、明治の初年に移転せしものにて、その旧地に存する亀井は清泉を以て名あり。氏地は本地及び大字山中にして、例祭は十月十一日なり。
【御祭神】
 玉依比賣命(たまよりひめのみこと)[神武天皇の御母神]
 高寵神(たかおかみのかみ)
【合祀されている境内神社】
 恵比須神社       御祭神:事代主命(ことしろぬしのみこと)
 大国神社        御祭神:大国主神(おおくにぬしのかみ)
【末社】
 川合神社        御祭神:玉依比賣命(たまよりひめのみこと)
 神明神社        御祭神:天照大御神(あまてらすおおみかみ)
 池島神社        御祭神:大山祇命(おおやまづみのみこと)
 若宮神社        御祭神:天押雲根命(あめのおしくもねのみこと)
 厳島神社        御祭神:市杵嶋比売命(いちきしまひめのみこと)
 稲荷神社        御祭神:豊宇気毘売命(とようけひめのみこと)

◎所 在 地   阪南市箱作1655  
◎例    祭  10月第二日、第三月
◎宮入やぐら  箱作西、箱作東、貝掛

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