【由緒】
 主神−豊受姫大神は第七十四代鳥羽天皇の御代天仁元年(皇歴
      1768年)に伊勢外宮より御観請して斎き祀つる
 配神−赤井神社(又は梅の宮)は淡輪文書にあるまぼろしの大巨
      刹佛性寺の守護神であった佛性寺は織、豊の根來攻め
      に焼失したと云われ、後年大阪府史蹟に指定され現在跡
      地に碑が建立されている
 配神−牛神神社は牛の守護神で毎年七夕の早朝農家はそれぞ
      れ牛を追うて参拝するをならわしとしていたが、現在市内
      一頭の牛もなくこの風習は廃絶した
 鎮座地 市場村の由緒
      信達市場は当時日根郡信達荘御所村と称され遠く平安朝
      天皇家貴族を始めとして一般民衆の間に熊野詣でが盛ん
      に行われ、その際の宿所となり、特に後鳥羽院白河法皇
      等熊野への行幸の砌り止宿される仙洞御所のあった故を
      以って御所村と云われた、後世江戸期より信達荘(泉南
      市の大半)の商業の中心となり、特に毎年年末に村内の
      往還数丁にわたって歳の市が開かれ、正月用品の買入
      れ近在より人々が集まり賑わいがあり御所村を市場村と
      改めた。この歳の市も戦中以後廃絶した
 稲荷の称号に付いて
      稲荷とは稲みのる、なるの意味であり農業を始めとする機
      織その他各産業の発展を司る神を奉斎する社の義であっ
      て伊勢内宮の天照大神と共に日本の始祖の女神である
      豊受大神の御神徳を称讃する尊号である。
      紡績、織布、商業、農業、建築等の神。

◎所 在 地  泉南市信達市場1471  
◎例    祭  10月第二土・日
◎宮入やぐら  市場

本殿
由緒・沿革
手洗鉢
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